峠の釜めし誕生秘話
お客様の笑顔が見たいという想いから
1885年(明治18年)の信越本線横川駅開業とともに、高見澤仙吉が創業した荻野屋は駅構内で旅客に対して、お弁当やお菓子など様々な商品を販売していました。
しかし、二度の大きな世界大戦により時代が大きく移り変わり、戦後復興の波に乗れない中、高崎駅と軽井沢駅という大きな駅に挟まれた山間の駅「横川駅」は乗降客数も少なくなり、荻野屋の経営状況は決して芳しいものではありませんでした。
お客様の声に耳を傾ける
3代目一重が若くして急逝し、その妻である髙見澤みねじは、1953年(昭和28年)に4代目社長に就任します。現状を打破するために「お客様に本当に喜ばれる特色のある駅弁」の開発を決意しました。生来、人の喜ぶ顔が大好きだったみねじは、お客様に喜ばれる弁当を作れば、必ず売れるはずだという想いがあったのです。
自ら毎日駅のホームに立ち、旅客一人ひとりに「どんなお弁当がお好みですか?」と聞いて回りました。その結果「温かくて、家庭的なぬくもりがあり、見た目も楽しいお弁当」をお客様が望んでいるという答えにたどりつきました。
常識を打ち破り
「温かい弁当」を形にする
冷えた幕の内弁当が駅弁の常識だった時代に、新しい駅弁を開発することは並大抵の努力ではできませんでした。しかしみねじは決して諦めずに、何とかお客様のご要望を形にしようと、数え切れない試行錯誤を繰り返した結果、1957年(昭和32年)に当時の駅弁の常識を覆した「峠の釜めし」を誕生させたのです。
受け継がれ続ける想い
販売開始当初は思ったように販売数が伸びませんでしたが、お客様の口コミやメディアに取り上げられたことにより、徐々に販売数を伸ばし始め、昭和天皇陛下へ献上するという大変な栄誉を授かり、やがて全国的な知名度を得るまでに至りました。
現在は横川駅をはじめ軽井沢駅や東京駅、群馬県・長野県のドライブイン・サービスエリアなど販路を拡大しておりますが、髙見澤みねじが峠の釜めしに込めた想いは、脈々と受け継がれています。
ギャラリー
明治中期(1889年~1904年)
旅館「荻野屋」にて
戦後まもない横川駅風景
昭和30年代(1955年~)
峠の釜めし製造風景
昭和30年代 中期(1960年頃)
峠の釜めし試作品
昭和30年代後期(1967年頃)
峠の釜めし試作品
昭和30年代後期(1967年頃)
峠の釜めし試作品
昭和37年(1962年)
列車の乗客と会話するみねじ・妹トモミ
昭和37年(1962年)
最初のドライブイン横川店
(現 荻野屋 横川店)
昭和40年代(1965年~)
最初のドライブイン横川店
(現 荻野屋 横川店)
昭和40年代(1965年~)
峠の釜めし製造風景
明治18年(1885年)に販売を開始したおむすびを再現
昭和40年代(1965年~)
峠のおむすび弁当
昭和40年代(1965年~)
横川駅にて峠の釜めしを販売するみねじ・妹トモミ
昭和40年代(1965年~)
横川駅にて峠の釜めしを販売する荻野屋従業員
昭和40年代(1965年~)
横川駅にて峠の釜めしを買い求める列車の乗客
昭和43年(1968年)
横川駅で駅弁を販売する荻野屋従業員
昭和50年代(1975年頃)
横川駅で駅弁を販売する荻野屋従業員
昭和50年代(1975年頃)
横川駅にて峠の釜めしを販売するみねじ
昭和50年代(1975年頃)
横川駅にて列車のお客様に対して目送目迎を行う荻野屋従業員
昭和50年代(1975年頃)
横川駅で駅弁を販売する荻野屋従業員
昭和50年代(1975年頃)
荻野屋本店風景
昭和53年(1978年)
リニューアル後のドライブイン横川店
(現 荻野屋 横川店)
昭和56年(1981年)
横川駅にて峠の釜めしを販売する荻野屋従業員
平成9年(1997年)
横川駅にて峠の釜めしを販売する荻野屋従業員